ストーカー

2008年6月12日 (木)
人格障害

人格障害という言葉をよく耳にします。考えてみると恐ろしい言葉です。「病気」は治るけど、「障害」はもう直らないという意味ですから。すると、人格障害の人の人格は、たとえ一部にしても壊れていて、もう治りはしないということになります。ぞっとする言葉です。

人格障害は、一般的には、狭義の精神病(統合失調症など)と、広義の精神病(うつなどの神経症)の間に位置する病気といわれており、まさにハザマを意味するボーダーラインを含む思考の偏り、性格のゆがみをさします。

心理特長により、自己愛が強い自己愛性人格障害、見捨てられる恐怖の強いボーダーライン、虚言を含む演技のうまい演技性人格障害などが代表的ですが、そのほかにも妄想性人格障害、回避性人格障害、殺人などにいたる反社会性人格障害などに分かれます。ですので、いわゆる精神の病気、障害という観点で捉えるだけでなく、心理の分野の「病態」としても捉えることができると思います。最近では人格障害は投薬治療も少しずつ可能となってきているので、私もストーカー行為や暴力依存に走ってしまうクライアントを、精神科医のもとへとつなげたという例がいくつもあります。

私のクライアントのある女性は、カウンセリングを受けながら私に紹介されて精神科医に通うことになった一人です。彼女は忙しい経営者の父と、専業主婦の間の一人娘でしたが、叱られたという体験がないまま育てられた幼さの残る、甘えが全身に漂うような20歳そこそこの女性でした。初めて交際した学生時代の恋人に、ある日突然去られてストーカー行為を始めました。

その行為の激しさは、たとえば彼の会社の留守番電話機能が使用できなくなるまで、留守電に彼のことを罵り、吹き込み続けるものであり、また、駅で待ち伏せして彼の首をつかんで「やり逃げ男」と叫ぶものであり、彼がまだ話し合いに応じている間は、一緒に乗っている電車の座席に座る若い女性に突然つかつかと近づき、『私の彼を見るんじゃねえよ』と大きな声で凄むというものであり・・・そのようなことが1年以上も続いていたのです。被害者の彼は自宅に帰ることができずに、隠れるようにして暮らしていました。

初めて私が彼女に会ったとき、彼女は言いました。「私は交際中、彼に約束させました。『ほかの女を見ない、話さない、かかわらない』ということを。だから、一生監視します。」と。「それをしないというなら、あいつを殺したい。死体でもいいから独占したい。」と。

彼女は私が関わった中でも激しい方のストーカーでした。私のカウンセリングを受け始めてからも、誰かと会話していて腹が立てば平気で公衆電話ボックスを蹴飛ばしガラスを壊しました。警察官が来ても、既に精神科医にかかっているのを盾にして、「私は精神病。私を捕まえたって無駄よ」と嘯くのです。

彼女の親は、たいそう心配そうな態度で時々私と会いました。でも、いつも最後は「娘は困ったものだが、もともとは娘を見捨てた男が悪い。とにかく、娘のことは親ではどうにもなりません。小早川さんに全部お願いしたいから宜しく。」なとど、やさしいというより、本心は娘の問題から逃げたいという感じが見受けられました。彼女は、そういう態度の親をすがるような目で見ながら、両親が帰ってしまうと言いました。「両親は私のことをまったくわかってくれはしない。お母さんは昔からお父さんといつも喧嘩していて、私はとても不安。もう、ずっとお母さんのことばかり心配。」と言いました。

彼女はガリガリにやせていたのに、まだダイエットし、お風呂の中では手足を剃刀で薄く削ぐなどの嗜癖もありました。私がセラピーをしたとき、彼女のイメージはこうでした。

「砂漠にお母さんと歩いている。私は小さくてお母さんの手を握っている。でも、お母さんは私を見てくれない。お母さんが離れてしまうかもしれないと、私は必死で手を握っている。」

閉じた目から涙が出ていました。

彼女は、いずれ彼をあきらめることになりました。そして、その後、数人の同様な被害者とともに私のところに訪れました。ある時は警察署から「男女が車中でけんかしていたので保護したが、ナビゲーションを女性が壊していました。被害者は被害届を出すのが怖いというのです。加害者の彼女がカウンセラーの小早川さんのところにこれから行って話しをつけたいと言っていっていますが・・・。」と電話がかかり、ある時はデパートの店員からの電話で「店で激しく言い争っていますが・・・・。」と連絡がくる。 彼女との付き合いは彼女が落ち着きをみせるまで7年をかけるものとなりました。

彼女は親からも、警察からも、相手からも、人格障害と言われました。医師は、入院をさせるなどもして彼女の治療に尽力してくれました。でも、たとえ精神が治療されても、心が不安であればまた元に戻ります。心だけの問題ではないにしても、やはり心のケアは必要でした。彼女の心の叫びをセラピーで聞いたときに、私は彼女が救われないままで取り残されていることを知りました。

私は数年をかけて、そして今も、彼女と付き合っています。彼女はしかし、今ではお母さんなのです !!

彼女の書いた詩をここに、ご紹介します。彼女は、「私と同じように辛い人がいたら、この詩を読んであげてください。一人だけじゃないよって言いたい。」と。

“  わたしは誰のために生きているの?

私は何のために生きているの?

私は透明な存在である。

毎日外出するが、口を聞くのはお店の店員さんか、心無い黒服のキャッチスカウトをかわすときだけだ。

私は一体誰のためにお化粧しているの?

誰のために週に一回美容室にセットに行くの?

誰が見てくれるの?

誰のためにおしゃれをするの?

親にも邪魔にされ、私を必要としてくれる人もいなければ、その服かわいいねってほめてくれる人もいない。

私は透明人間である。

私が手首を切っても、首をつっても、きっとこの世で驚く人も、悲しむ人もいない。

私は何のために生まれてきたの?

ねぇ、誰か教えて。

居場所がわからない。

見つからない。

未来には期待できずに私が思ったこと、感じたことを分かち合える人もいない。

私なんて本当は生きている資格さえないんだ。

神様、私なんかが生まれてしまってごめんね。

ボーダーライン、人格障害、人は言うけれど、私だってみんなと同じようにバリバリ働きたい。

楽しく馬鹿話して笑いたい。

大好きな人と手をつないで歩きたい。

親ともっと話したい。

私はどうして生まれてきたのかなあ?

誰かの為になってるのかなぁ?

どうして世の中の人に認めてもらえないのかなぁ?

辛い、苦しい、悲しい。

何度も手首を切ろうとするけれど、勇気がもてない。 ”

彼女のような人格障害といわれる加害者はたくさんいます。でも、医療からは「警察マターでしょ」と言われ、警察からは「病院マターだね」と言われがちです。取り残されてケアも処罰もされてないままの加害者たち・・・被害者を守るためにどのように介入者は対処すべきか、加害者が更正と回復に向かえるように、どのようにケアすべきか、私も暗中模索が続いています。でも、いくつかの経験から、私は「ものさし」をいつしか持つようになりました。この「ものさし」について、そして「ものさし」を使った事例を、いつか少しずつこのブログでも皆様にご紹介してゆきたいと思っています。

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2008年5月 3日 (土)
介入するということ

一週間に一度は更新しようと思っているのに、先週はストーカー案件や離婚相談がまとまって入いってしまったのでブログがお留守になりました。私はストーカー案件については同時に5件までしかお受けしないことにしています。それ以上になると何かあったときにも緊急に対応できないですし、私の気力と知力も分散されすぎてしまうからです。相談者には申し訳ないとは思いつつ、警察で注意や警告をしてくれればなんとか加害者も矛を収めてくれそうな、方向転換できそうな、という場合はお断りをします。

私がカウンセラーとしてストーカー案件に介入する、そして解決するとはどういうことか・・・今日は、それを話したいと思いました。

本当の解決と介入とは、「加害者」と呼ばれる人が加害行為 と言われる ( 受ける側には苦痛と恐怖以外の何者でもない ) 行為をせずに日々を過ごせる心理状態になること、それまで関わり続けること だと私なりに見定めています。処罰や民事訴訟の勝利は、あくまでも「見なしの解決」と考えています。処罰してもらうことや民事で接近禁止の仮処分をもらうことは、それまで深く付き合っていた相手を手術のように切断し排除する手法ですが、それで本当の安心が得られるとは感じないのです。法的解決を求める人に対して警察のミッションは大変ありがたいものですし、私も危険回避の拠り所として頼りにしております。体を張ってくださる警察官の方には常に尊敬の気持ちを抱いています。でも私はカウンセラーですので、当事者たちの心の安全を確信しない限りは事案から離れることはできません。たとえ加害者が逮捕され刑務所に入ってもカウンセリングは続くものと考えています。刑務所へ家族とともに面会に出かけ話をしたり、手紙のやり取りをするのもそのひとつです。出所後にカウンセリングに通ってもらうこともあります。

私がなぜストーカー案件に介入するのか、それは私自身が過去ストーカーの被害者であり、そのまた昔には加害者でもあったという体験を得たことが動機の全てです。ストーカー事案の本質とは、人間が自分の心の弱さを “どうしようもなく” 克服できないという悲劇にある と理解をしたので介入することにしました。加害者は本当は被害者よりも傷ついている、そのほうが多いと言ってもよいかもかもしれません。傷ついた心をもっている人がいる以上、それが「加害者」であろうとも救われるべきであると私は信じているのです。ただし、それは自らの犯した罪を理解しなくてもよいとか責任を取らなくてもよいとかということではありません 。( 「常識のものさし」について以前少し触れました。きっとこのブログでいつか介入の実例をご紹介することになるでしょうから触れるつもりです。)

「加害者」にとって一番の望みは 処罰されないこと などではありません。彼らの心は果てしなく彷徨っていて、すでに社会の枠組みなど関心がなくなってさえいるほどに余裕を失っています。こういう「加害者」は、自分の心が救われたと感じられた時に初めて処罰を受ける意味を理解し納得すると私は推測していますし、実際もそうでした。「加害者」は、自らの心が救われるその時まで、まるで煮え湯を飲むような日々を送っていることを私は想像できます。

昔、私がストーカーであったとき、朝を迎えるごとに太陽がギラギラといやらしいほど眩しく、「今日一日をどうやり過ごせばよいのか !」 と、逃れようもない息苦しさ、絶望感の叫びが体中にこだましました。ひと呼吸ひと呼吸は煮え湯を飲むような痛みを伴い、布団の中で身もだえするばかりでした。この苦しみから解放されるには彼が戻ってくれること、せめて私の苦しみを理解してくれることだと、そのようにしか考えられませんでした。しかし彼にはそんな余裕はありません。新しい彼女と、私からの加害行為からどう身を守ろうかと頭を寄せ合いながら悩んでいたのでした・・・。 そんな私が救われたのは偶然の神の差配でしたが、私はそのときの自分を思い出しながら「加害者」ケアをしています。

ストーカーであることをやめられた私は、後にカウンセリング、特にセラピーの勉強を始めました。そのとき師匠から教わりました。「どんな感情を持ってもそれはあなたの自由だ。恨んでも憎んでもよい。しかし、その感情は相手という誰かに持たされたのものではなく 、自分自身が持ったものだと心に決めること。そして、自分の感情は完全に自分で処理をすることです」と。 以来、セラピーとは自分の感情の処理の仕方を学ぶことだと理解してきました。師匠の言葉を聴きながら私は過去を振り返っていました。 人間が本当に救われたときには真実そのように感じられる と了解できたのでした。

従来言われてきた一般的な犯罪の動機とは、金、権力、情欲を満たさんがためのもの、いわば社会的・経済的敗者による恨みと復讐であり、非合法的な手段よる上昇への願望です。ストーカーと呼ばれる人の心の中にも、愛する人に「裏切られ」「捨てられた」という敗者の恨みや怒りがあります。しかし私がお会いした多くのストーカーと呼ばれる人たちは、おしなべて幼い頃から自信の弱さを必死で隠し、努力の成果である鎧を身につけがんばって生きてきた、まじめで一倍寂しさに弱いという人たちでした。

愛する人に出会えて、ようやくひょっとしたら自分に鎧は要らない、自分が本当に求めてきたものは社会的成功や賞賛などではないのかもしれないと気づき始めた頃 ( 残念ながらその気づきは遅すぎた、いつものやり口である支配と追いすがりは相手を苦しめてしまった ) に捨てられた悲劇。 あるいは例えば、不倫相手からの ( いい加減な ) 結婚の約束を信じていたのに、ある日突然「それは単なる非日常の夢だったんだよ」と別離を告げられてしまったケース。「加害者」は、怒りと苦悩のうちに相手に救いを求め続けて、それが攻撃となってしまっていたとしても私には彼女を責めたりできません。 「でも、それは加害行為に当たるんだよ」 と伝えることから私の介入は始まります。

・・・以下のコメントをしてくださった苦悩の中にある方に、私は今日お手紙を書いているつもりでした。貴重なコメントをありがとうございました。

次回は、「加害者」になってしまっていた女性が私に送ってくれた詩を皆様にご紹介いたします。彼女は自分の詩をいつでも自分と同じように悩める人たちに届けてほしいと言って書いてくれました。もう10年も前のことです。今はその女性にはかわいらしい女の子がいます。

※いただいたコメントの抜粋

「被害者が加害者であるケース(それは法律で裁けなくとも)がございます。
加害者と不本意にも呼ばれることに陥ったのは必ずしも加害者の「病体」だけが原因ではございません。

幸せに生きて欲しいですか?かつて愛した誰かを我が身だけを案じて(身勝手)訴訟する被害者も実在いたします。

訴訟前に被害者がどんな行動を起こしましたか?」

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2008年3月10日 (月)
ストーカーは恋愛依存症

昨日から、元教え子に対する脅迫容疑で県立高校の校長が逮捕されたとマスコミが騒いでいます。ショッキングだと。確かに校長が犯罪の容疑者になったら誰でも驚きます。

この先生は教頭だった当時に教え子である高校2年の生徒と交際を始め6年にわたって関係しましたが、昨年女性に新しい恋人が出来ことから別れたいと申し入れたところ、それを忌避しようとした校長の挙句の果ての脅迫行為であったらしいです。彼女の恋人の情報を自分は入手していると言い、「人を殺すのは平気だよ」とのメールを送り続けたそうです。文言は立派に脅迫ですし、彼女が自殺を試みたほど苦しんだことを考えれば、この先生の罪はとても重いです。しっかりと処罰すべきです。ただ、私はいつも心配なります。ストーカー行為者はストーカー行為を一旦やめても、相手を変え、時を経て、再犯する可能性があるという心配です。この男性はストーカー行為者には違いありません。

ストーカー行為の本質は精神への虐待です。ときに相手を自殺に追い込むほどの精神的な痛みと苦しみを与えてしまうということです。暴力を振るうわけではないから相手は傷つくはずは無いと思っているストーカー行為者は多く、私が面談してどんなに相手が苦しんでいるのかを伝えると意外そうな顔をします。しかし、しばらくするとその効果に喜んだ風情も見せたりします・・・。ストーカー規制法が出きたとき、初めて精神的暴力に対する刑罰法令が出来たと私は感激しました。それまではストーカー行為は暴行傷害、各種わいせつ罪、軽犯罪法、名誉毀損、脅迫罪にあたらないと刑事事件にはなりえませでしたから。今回も、男性は脅迫容疑での逮捕ですが、ストーカー規制法で警告されたりはしていなかったのかと疑問です。ストーカー規制法では被害者が申し出てある一定以上の頻度と悪質さがあれば加害者に警告(行政処分)が出ます。2度警告を無視すれば逮捕(司法処分)になります。

私は、この男性がメールを送ったことを認めながらも、「脅迫しているつもりは無かった」と言ったと聞き、ああストーカーだなあと感じました。一般的には、自分を振った相手に対する怒りと憎しみで報復の脅迫をしたのだろうと考えるものでしょうが、彼の心理としては脅迫しているという強者の立場からくる余裕の感覚はあまり無かったのではないかと私は想像します。おそらくは、女性に戻ってほしいとの一念だったのではないか、戻ってもらう手段として脅しの言葉を使ってしまったのではないか・・・。彼にとっては勝者であり強者は自分を振った女性です。見捨てられた自分は被害者だという意識をもっていたかもしれません。捨てられたという怒り(逆恨み)も無いはずはありませんが、何より恋人としての立場を取り戻したいとの思いが先にたっていたような気がします。

なぜなら、ストーカー行為者の多くは加害意識を持っていないということを私は経験から知ってきたからです。ストーカー被害の相談があると、私はたいてい加害者と言われる方と面談をします。10年この仕事をしてきてストーカーと呼ばれるこの男性のような人たちと800人くらいにお会いしてきました。彼らに共通していることのひとつに加害意識が希薄だということがあります。それは、彼らは捨てられた側、振り向いてもらえない側に立っているからです。

そもそも恋愛という人間関係はいつ終わっても不思議なことではありません。永遠の恋を誓った翌日に心が冷めたりするのも不思議ではありません。しかし、ストーカー的な人間にとってはこれが受け入れられません。「心変わりされた」と怒りをもちます。「約束を守れ」、「責任を取れ」、「誠意を示せ」、「別離後は一定期間の心のケアをしろ」、「俺と別れるなんて頭がおかしくなったのだから病院に行け」、「私と離れたいなんて彼の意思ではないはずだ。母親のせいだ。彼はマザコンだ」、「別れかたの経緯が気に入らない」などはストーカー行為者の共通の主張です。要は相手と別れたくない、別れることへの恐怖、パニックを起こしているのです。このように相手が自分の意思以外の意思を持つことを許さないという特徴は交際中にも見られ、それがために相手に去られるというパターンは多くあります。

禁断症状がストーカー行為であり、「相手 (人間であれ、薬物であれ、ギャンブルであれ) と関係が再び持てれば全てうまく行く」と考えてしまうのは依存症の特徴です。人間ならば何かに依存して当たり前なのですが、自分の依存に気づかないまま過剰に依存をしだすと被害者が生まれます。体、心、お金、家族や周りの人間、などを傷つけてしまいます。

加害者に会ったとき、私は伝えます。

①あなたは人の人生を邪魔していること

②いくらあなたが交際中に相手から虐げられ傷つけられていたとしても、違法行為によって相手に報復するのは絶対にしてはいけないこと。どうしても実質的・精神的に債務が相手にあると考えるのなら訴訟するなり法律の範囲で弁償を請求をすること。あるいは仲介者をたてて話し合いが出来るならすること

③自分の心の傷の処理と回復は自分ですることが出来ること、私がその助けになること

④何より、まだあなたは相手に依存していて相手がいないと生きていけないと信じきっていること。恋愛依存症の禁断症状にあること

⑤あなたが悪いのではなく、あなたには心に人間依存という病態があり、それがあなたを苦しめ(相手を苦しめている)ということ、それを治し回復させることが出来ればあなたは(相手も)楽になること。

ストーカー行為は、相手が振り向いてくれないから振り向かせるために起きる行為だとすれば、第三者が窓口となり双方にとって安全な意思疎の役割を果たすことができたなら多くのストーカー行為者が一定の落ち着きを見せるのも自然なことです。私が介入すると、まずは直接の接触をやめてくれます。いままで振り向いてくれなかった相手の心のうちが分かりますし、自分の気持ちも間接的にでも伝わるのですから。驚かれるでしょうが、私が連絡をすると喜んであってくれることのほうが多いのです。そして会ってみれば、彼らもなんとかして事態を解決したいと思っているのだと私は知ることになります。私は双方の心の整理をするお手伝いをしながら、自然に加害者の回復に向かう心の発芽を促してゆくことにお役に立っていることがあります。しかし、私は絶対に常識というものさしを捨てたりはしません。これについては、いつか介入の心構えを私が書くときに詳しくお話し出来るでしょう。

一円にもならないことに、時間を割いて、執拗に相手と接触しようとする・・・従来の犯罪動機とは異なる動機が人をストーカー行為に走らせています。心理的な動機、それは依存という問題と切り離すことは出来ません。ですから公平な立場で中に立つカウンセラーがストーカー問題の解決には必要なのではないかと考えています。唯一加害者と会ってくれる弁護士も警察も、ストーカー行為者にとっては相手の利益の代弁者です。ストーカー行為者は心を開くことが出来ません。司法における解決は時に必要不可欠ですし、警察は最大の被害者の味方です。ですが心理の専門家ではなく、動機が心理的な犯罪の場合は心理に詳しい人間の介入も視野に入れた方がよいのではないでしょうか。

ストーカー行為者が行為をやめること、次に再犯しないですむような自立の心を取り戻してくれることを被害者も願っています。「一度は愛した人を処罰などしたくない。私から静かに離れてほしい。幸せに生きてほしい。」ただそれだけの思いで私のところには日々、電話がかかります。

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