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2008年10月31日 (金)
無力な言葉

私は比喩のお話があまり好きではありません。先日、テレビで男性カウンセラーが女性たちに向かってお話をしていました。黒板に川の流れを書いて、途中に障害物も書く。彼は、そのために水の流れがそこで止まる様子を何本かの直線で表し、「これが人生の障害ですね。でも、、、」と言いながら、その水の線を障害物を避けるように回り込むように書き込み、またもとの直線の流れに戻らせました。「人生の流れも必ず元に戻るのです」   聞いている女性たちは大きく頷くのですが、私には納得できません。川の流れと人生は何の関係もない二つの出来事です。川がそうだからといって人生の出来事もそのように行くものだとは言えないからです。

比喩話に納得をしてしまうのは、人間には「投影」という心理の機能があるからです。人間は唯一自分が死ぬことを知っている動物だと言います。それは、他人の死を見て自分を投影するからです。自分が死んでいると同一視するのです。ホラー映画を見ていて怖いのも、あたかもそこ自分がいるかのように感じ取るからです。他人がやけどをしても思わず自分が身震いしたり、夕暮れに人生の晩年を想像したり、蜘蛛まで家族にします。(一人ぼっちの蜘蛛は、私の投影なのです) 

「投影」だと分っていて、かつ、そのフィクションを受け入れると了解したとき、初めて比喩は比喩として本当になります。フィクションなのに、あたかも万人が共有できる真実があると思い込んでしまうと、それは比喩が事実として受け取られてしまうがために嘘となります。「ライオンはウサギを狙う時も全力を出す」という、手を抜くなと言わんがための比喩がありますが、人間はライオンではないのです。関係ありません。

比喩を用いて人に話をするときには、言ってほしいです。「この比喩を“私は”気に入っています“私には”励みになります。参考にしたい人は、どうぞ」と。ライオンみたいでありたい人だけがその比喩からパワーをもらえばよいのです。人はそれぞれ自由に自分をインスパイア(発奮)させるイメージを見つければよいのです。忘れてならないのは、それを人に押し付けないことです。「私はこの比喩が好き。このイメージが好きです」と言ってくれないと聞くのが辛くなるときがあります。とくに昔、大人に説教されるとき、よく比喩を使われたけど、本当に苦しかったわ。

私が雀を自分に喩えたのは、私の固有のストーリーであって自己イメージです。織田信長に自分を投影する人もいれば、マリア・テレサを思い浮かる人もいるでしょう。人それぞれ。人生を川に例えたカウンセラーだって結構なことです。レット・イット・ビ。人生を坂に喩えた家康のは私には嫌なイメージ。人生はそんなに苦しくちゃイヤです。

私が言いたいのは、簡単に人の比喩、イメージ、ストーリーを自分のものとして受け取ってしまわないで、ということです。自分が発奮できるイメージは何かを探すことが大事ではないのかと言いたいです。

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