2009年6月21日 (日)
犬の顔と老獣医
私の飼っている白いチワワが外耳炎になりました。以前もあったことなので直ぐに動物病院に電話してその日のうちに予約をいれました。予約時間の夕方まで、私はカウンセリングの仕事をしていましたが、そのうち病院のことをすっかり忘れてしまいました。
「さあ、何か食べるものを作ろう」と、台所に立ったのはもう夜でした。そして、いつものように台所に犬たちがやってきました。 私が台所に向かうたび、ご飯の時間が近いことを知り待ちきれなくてやってくるのです。
黒い両目を輝かせ、ピンクの舌を出し、短い尻尾をプルプル振っている白い犬の顔。 私は「ご飯、もうすぐだからねえ」と声をかけました。そのたとたんに 「あっ」 と息を詰まらせました。犬の顔が、「かあちゃん、ぼくを動物病院に連れて行ってくれないの?」と語っているように見えたのです。「ごめん!」と犬に謝ったけど、あーあ、忘れっぽくなった自分にがっかり。年をとったのねえ・・・。
動物病院に電話して、「すっかり忘れてしまいました。申し訳ありません。」と謝りました。電話を受けた85歳の主治医は、「あはは、そうですか。じゃあ、明日。」と楽しげに答え、電話を切ってくれました。
この先生、もう60年以上も獣医をなさっているのです。いろいろな獣医に私はかかりましたが、こんな名医はいないと尊敬しています。狭くて、設備はレントゲン以外に何にもない病院ですが、ドアを開ければ犬たちも喜んで入ってゆくのです。それまでは、どんな動物病院でも近づけば察知してすぐに帰ろうとむずがっていたのに。先生は、窓際の隅にある大きな背もたれの肘掛椅子に深々と座り、タバコを燻らせながら、病室に入ってくるメタボの白犬の体重の増減を一目で言い当てます。この上ない柔和さと、厳粛な仕儀で犬たちを診てくれます。関節をいためた時においては、すっと触ってさっと治してくれました。 ゆっくりとした動作なのに無駄のない動きで診療は直ぐに終わってしまいます。経験が詰まっている先生のずんぐりした体からは、何か「高み」というものが伝わってきます。一意専心に生きている先生、人生の終焉の日が訪れても自分が死んだことに気づかないかもしれない。そういう無心さ、悠々さ、先生は今、妙えなる生の境地にあって、きっと死さえも豊かなものであるに違いない・・・。
受話器を置いたら、年のことを嘆くなんて馬鹿だなあという気持ちになりました。そして、私も、もうあと35年仕事をしたら、こんなに優秀で、こんなに優しくて、こんなに明るいカウンセラーになれるのかなあと考えていました。 犬の体重のことで深刻になり、えさの調整ができないことで自己嫌悪になってしまう私を嬉しそうに見守ってくれる老医師は、私が一番素直になれる人。お会いするのがとても幸せで、いそいそ、ありがたく通っているのです。









