2012年1月19日 (木)
台湾人留学生 任意同行中の自殺事件 2

記事「台湾人留学生 任意同行中の自殺事件」にコメントを下さって、ありがとうございました。

私は、人生と世の中のことで、本当に大事なのは「生死のことだけ」と思っています。命を守るとは「目の前の命を守ること」だと思っています。警察官の命も、命です。有事の際のことは確かに考慮しないといけないと思っていますが、では今回のようなこと、任意同行中に起こりうる事件は、具体的に、どのように防いだらよいのでしょう?

日弁連も、所持品検査には一貫して反対していますし、緊急執行さえ違法だとの主張です。一般的にも、私の意見に賛成される方は少ないでしょう。とても「一人歩き」できる様相ではないように見受けます。

私は著名人なのかな? おやっと思いました。活動家だとの自己認識です。世の中に起きていることは全部繋がっています。専門以外のことについて語るのは自重すべきというご指摘をいただきましたが、私に大変重いことを相談されようとする方たちにとっては、私という人間を知っていただくために役立つ情報ではないかと思います。

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2012年1月16日 (月)
司法権

記事「台湾人留学生 任意同行中の自殺事件について」に、ツダリョウさん、コメントをありがとうございました。

“犯人も被害者も外国人の事件、裁判はどの国で行うのか?” という質問ですが、答えは日本です。

司法権は、日本は原則として「属地主義」を採用しているからです。属地主義とは、犯罪が行われた国に司法権があるという意味で、捜査も裁判も犯罪が行われた国において、その国の法律に則り行う、というもの。日本人が、中国やフィリピンで、買春や麻薬の犯罪で逮捕され、日本とは比較にならない重い判決が下りたり、中国の暴力団が、日本は罰則が緩いからと嘯き、来日して犯罪を行うなどの現実も「属地主義」から起きています。

それに対して「属人主義」は、簡単にいえば犯人の国籍地にも司法権があるというものです。しかし、これはいろいろな問題があって、私にはちゃんと説明するのは難しいです。いわば例外的なものであって、海外で起きた重大事件などでは、時に日本でも捜査や裁判は行われます。三浦和義の事件もそうでしたね。これは両国間の協定が必要となります。

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台湾人留学生 任意同行中の自殺事件

友人二人を刺殺し犯人が逃亡していた事件。殺人容疑で指名手配された台湾人留学生は、名古屋で警視庁捜査員に見つかりました。警察署への任意同行を求められ、応じた容疑者は移送されましたが、警察署内に入る直前、隠し持っていたナイフで自殺しました。

マスコミ報道では、自殺が起きたことを「警察官の気の緩み」だとする論調が大勢を占めているようでした。警視庁(組織犯罪対策総務課長)も、「自殺されたのは極めて遺憾。本人の了解を取り、所持品検査を徹底的に実施するべきだった」など、対応に問題があったことを認めています。

しかし、どうなのでしょう? この捜査員が所持品検査を徹底しなかったことを彼個人の瑕疵、問題としてよいのでしょうか? 今回、「逮捕令状」が出ていたのに捜査員は容疑者を逮捕しませんでした。私は、これが一番問題だったと思います。逮捕すれば良かったのです。その場で逮捕すれぱ所持品検査ももちろんできたのですから。同意はいりません。捜査員は令状を所持していなかった。しかし、そういう時のために「緊急執行」という法律(刑事訴訟法201条)があるはずです。

「任意同行」は「逮捕」とは違い、あくまでも捜査への協力。身体検査や所持品検査は同意が無いとできません。 「同意を取るのは技術だ」とテレビで言っていた元警察官がいましたが、しかし、どんなに熟達した警察官だとしても、「同意」というものは100%取れるというものではないでしょう。ズボンのポケットの奥底まで「検査してもよいですよ」と言う人ばかりではないでしょう。それを強制的にやれば日本では人権侵害になります。任意同行時の強制的所持品検査が公判で立証され、「手続きの違法性」により無罪になったという判例は少なくありません。

この捜査員は、おそらく、真面目な方なのだと思います。警察署に容疑者を連れて行き、指紋照合をして、本人だと確認してから、万全な逮捕をしようとしたのだと思います。それは、きっと上司からの指示もあってのはず。警察の人たちは「誤認逮捕」を怖れています。というのも、「誤認逮捕」に対する世間の批判が大変厳しいからです。

「誤認逮捕」を怖れ「任意同行」とし、それも公判維持のために「違法性のない手続き」を慎重に行う。「法令順守」を徹底した結果、「任意同行→不十分な所持品検査→自殺」という事態が起きたと私は見ます。捜査員も危なかったのです。容疑者は自殺しましたが、同じ刃物で捜査員を刺しても全く不思議ではありませんでした。

「任意同行」時の強制的な所持品検査、少なくとも、それが可能になる法改正が必要なのではないでしょうか? 被疑者本人の安全のためにも、現場で身体をぶつける警察官の命のことを考えても、身体検査もできない「任意同行」は問題です。欧米のニュースを見ても、被疑者をパトカーに乗車させる際にはちゃんと後ろ手にするなどして警官が身体検査をしています。

警察上層部は、このような事故が再び起きないために、部下の命を守るために、法改正が必要なんだと問題提起すべきではないでしょうか。また、「逮捕」についても、もっと積極的に行いたい、そのための理解を得たいというお願いを、世の中に対してすべきだと思います。

今回の「容疑者の任意同行中の自殺問題」、警察官個人の能力と士気の問題にしたマスコミと警察上層部。私は冷たさを感じます。

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2012年1月13日 (金)
『吸血鬼』の女と『白痴』の男

「感じ入ること3 美しいもの」について、友人から以下のようなメールが届きました。

・・・僕は、ムンクの展覧会にて、「吸血鬼」という作品を観て、魅せられてしまいました。ムンク本人ではなく、ある詩人がつけた題名とのことです。ムンク本人は、「ただ赤毛の女が接吻しているだけ」の絵と言い、その作品のもととなった同構図の作品に「愛と痛み」という題をつけていたようです。しかし、その方が僕には怖いです。

私はムンクのその作品を知りませんでしたので早速ネットで見たところ、背筋が凍る程の深みと暗さに驚きました。そして、見覚えがある!と思いました。以前どこかでこの絵を見たことがあるというのではなく、心象としての記憶の蘇り・・ 確かに、この絵が語っている真実とは「愛と痛み」なんだろうと思われます。愛しているだけ、キスしているだけの女。彼女はムンクの手によって男の血を吸う、男を死に至らしめる存在として浮かび上がっていました。パスカルの言葉を思い出しました。「人間は、天使でも獣でもない。そして、不幸なことには、天使の真似をしようと思うと獣になってしまう。」 愛の至難を見事に表現しているアフォリズム。

美しくて残酷な絵です。私の心は痛みながら、この絵の中で痛みを感じているのは女なのだと確信します。にもかかわらず、こんな愛を“しないではいられない”人間の宿業、両重性を見事に描き切った芸術家の力量に感動し、崇める気持ちです。

・・・ドストエフスキイの「白痴」のラストシーン、美しすぎて怖い。怖すぎて美し過ぎます。ある種、ロマンティシズムの究極のようなラストシーンです。

素敵な言葉をありがとう。同感です。ドストエフスキイはこの場面を描きたいがために『白痴』を書いたのだそうです。完全な愛と美を描くためには、完全な白痴の主人公が必要だったに違いないと私は思います。トルストイは、この主人公を「ダイヤモンドだ」と絶賛しましたが、どんなもの、どんなことでも「完全であること」は美しいのではないでしょうか。それがたとえ白痴であっても。「完全」とは、トータルであること、全一であることで、やはり至難なことですが 「完璧」とは違うものです。

そんなことを考えていたら、ムンクの絵の女はナスターシャに、男はムイシュキン公爵かロゴージンに見えてきました。あるいは、『カラマーゾフの兄弟』のグルーシェンカとドミイトリーだと言われても私には違和感はありません。でも、彼らを持ち出すまでもなく、この絵の女性は、確かに、私なのです。

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2012年1月 8日 (日)
三日坊主

私は飽きっぽい性格で、子供時分は「三日坊主」と言われていました。それが最近は、何事も継続するのです。例えば、毎朝の体操、サプリメントを飲むこと、スクラップ作り、このプログ・・・不思議でした。性格が変わったのかなと訝りながら日々暮らしてたところ、ハタと気が付きました。それは、些細なきっかけから。

毎日、結構早く起きるのに、何か大したことしているわけでもないのに、すぐに午後になってしまう。どうしてかなと考えたら、一つ一つの動作が遅くなっていることに気付いたんです。昔はもっと早く何でもテキパキしていたのに、今は新聞を広げるのも、食器一つ洗うにもかなりの時間がかかります。ノロマになっているのです。だから、一つ一つの時間の遅れの集積が私の可処分時間を浸していたのです。年齢のせいか!って分かりました。

毎日、あっという間に夜になります。

ということは、「三日坊主」は単に間伸びして「3年坊主」になっただけのことだと気が付いた次第。三日で気分や目先が変るなんて、それは若さだったんだなあ。動作に連られて気分も動いてゆくのだもの。私は子供時分は走ってばかりいた。気分も興味もくるくる変わっていた。年寄りが気が長いって、それは気働きもスピードが落ちるって訳なんですよ。

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感じ入ること3 「美しいもの」

私は美しいものと、少し怖いものが好きです。

美しいものを見ていると怖くなる。美は怖さを伴うものなのではないかと思ってみます。それは、手の届きようも無い・・という隔絶感、無力感なのかもしれません。無力は怖れを呼び、けれど解放でもあります。

私はクリストファ・リー主演のドラキュラ映画が好きです。中世の古城や館を背景に、ドラキュラ伯爵になすすべもなく血を吸われる美女、その表情は恐怖から恍惚へと変わります。見ている私もそんな気分になってゆきます。恐怖は恍惚の予兆であるかのようです。

ステインドグラスも、光を通さなければ濁ったガラス板でしかありません。日が射し込み燦然となるや私は恍惚感に包まれてゆきます。震撼とする美と言ったらよいのか、そこにはやはり怖さがあります。

最近知ったビーズデザイナー呉祐子さんのブログには、そんな「怖さを伴った美」を感じます。

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感じ入ること2 「作曲家の死」

昨日、作曲家の林光氏が亡くなったという報道がありました(1月5日)。林光さんの音楽は、人間賛歌の音楽だと私は思います。宮沢賢治の作品を題材としたファンタジィックなオペラ 「セロ弾きのゴーシュ」や「森は生きている」、原爆被ばく者の詩を基とした合唱曲 「水ヲ下サイ」や「原爆小景」、など創作されました。今、全国でどれほど多くの方が悲しんでいることか・・・。

盲目のピアニスト 辻井伸行氏 がマスコミで盛んに取り上げられていた時のこと、林さんが「梯剛之のことを忘れてはいないか?」と発言されたことに、私は感じ入りました。梯氏の、他とは全く異なる透明感のある演奏を私が最初に聴いたのはショパンでしたが、その特異さに衝撃を受けました。海外では以前より高い評価を得て活躍されています。

マスコミはストーリー性のあるものを選び、ストーリーを先行して取り上げる傾向があると思います。実力や価値というものに照らして公平に取り上げていたら読者、視聴者に受けないのかもしれません。そうなら私たちに責任があるのでしょう。 林光氏の死去はとても小さい扱いでした。

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感じ入ること1 「キーシン」 

テレビで、1988年(ニューイヤー・イブ・コンサート) カラヤン指揮+キーシン(ピアノ)+ベルリンフィル によるチャイコフスキイ 『ピアノ協奏曲』を視聴できたことは幸運なことでした。

カラヤン80歳、キーシン17歳によるこの伝説の名演、目が釘づけになり聴き入りました。演奏後、カラヤンはキーシンとその母親に向かって「天才だ」と語ったそうですが、神童だったキーシンはそのまま21世紀の巨匠となりました。カラヤンはこの半年後に亡くなりましたので、まさにこのコンサートは二人の天才の邂逅という歴史となりました。

とにかく17歳のキーシンは凄かったです。ピアノに粘りつくような、跳ねるような、オーケストラと戯れるような、何とも驚くべきテクニック、若々しい勢い、潔さ・・・圧倒される素晴らしさです。 一方、80歳のカラヤン、その指揮棒はオーケストラを超え「響き」の世界を統治しているかのような、まるで「魔王」を見ている気がしました。それなのにキーシンに対してはなんとも優しいジェスチュアをするのですから・・・。 上手く言えません。二人のセッションには心底、感じ入りました。

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2012年1月 1日 (日)
明けましておめでとうございます2 「ヒューマニティ」

ストーカー被害に苦しむ人間にとって警察は最大の味方です。危険を顧みず加害者と対峙してくれるのは組織としては警察だけです。私どもヒューマニティは、わずかでも警察に協力できたらどんなに良いだろうかと思ってきました。

警察は人員の問題もあり、ストーカー案件に対して社会の期待通りに最善の配慮をするということは、おそらく不可能だと思います。DVの場合は相談機関は警察だけではありません。「保護命令」は裁判所が出します。ストーカー事案は「警告」は警察署長が出しますので、警告を発してもらおうとすれば相談できるところは警察署だけです。

ストーカー事案は被害者の住所地の警察署が相談を受けるということが通例となっています。被害が職場中心だとしても、被害者の実家まで波及していても、被害者の「住所地」の警察署が担当をします。そして、各警察署によって対応がまちまちになるという現実も出てきています。

罪状が明確である従来の刑事案件ならば、対処は一定になります。しかし、一日100通のメールとか、暴言、自宅前での女性の待ち伏せといったものに対しては、「警告」をすべきか、「脅迫罪」を適用すべきか、精神の「傷害事件」だと考えるか、「様子を見る」べきかなど、相談を受けた警察の判断はファジーになります。私は、少なくとも原則的に「警告」は直ちに発すべきと思いますが、出し惜しみというか、加害者への遠慮でもないでしょうが、各県警によってストーカー規制法の適用基準が内部で定められているようで、それは結構ハードルが高いように見受けられます。ある県警では、警告を願い出た被害者に対して、「当県では10分に一度以上のメール、しかも一か月以上の継続性が無いと警告はしない」と門前払いをしたそうです。ストーカー規制法の条文には一切そんな規定はありません。

ストーカー事案の相談は、単なる嫌がらせやよくある男女のいざこざのように見えながら、中には凶悪事件に進展してゆくケースも紛れています。それを見極めるためには、どうしても加害者の心奥に踏み込むことが必要です。心理の専門家でない警察官にこれを期待するのは難しいと私は思います。 私が警察に期待、お願いする対応は、警告を早めに出してくれること、その時は被害者に身を隠すくらいの安全を図るように指導してくれることです。

ストーカー事案の相談者の特徴として、被害者が告訴はおろかストーカー規制法の警告すら申し出を渋るということが多々あります。 暴行までされたというのに何か手を打ってもらおうという決心がつかない。長いこと一人で我慢をしてきた。勇気をかき集めてやっと警察に「相談」には来たものの、何を警察に望んだらよいのか分からないのです。本当は、一刻も早く 「警告や逮捕をしてください!」 と望まないといけないはずなのに、その判断ができません。ただただ本当に「相談」に来ているだけなのです。「殺されるかもしれません」と言わないといけないところを、「今は、何もしないでほしい。相手を刺激するのが怖い」と言ってしまったら、警察官にはなすすべがないのです。

加害者の心理状況についての検討 被害者の恐怖や迷いなどの心理問題へのサポート これらのことは警察で全て抱え込もうとせず、相談の初期段階で、まだ生活安全課で対応している時に、当会のようなカウンセリング機関があることを紹介するなど、連携を求めて下さってもよいのではないかと思います。私は今年から、警察の方々に、当会のことを伝えてゆく活動を始めることにします。

当会の名称を「ヒューマニティ」としたのには理由があります。 hnmanity 「人間性」 は、ラテン語の humus 「腐食土」を語源とします。これは本当に綺麗事ではない!という言葉です。人間のサガは土着であり、そこから生まれる情念(優美でも高貴でも自由でもない)、それが人間性なんだという宣言。私は感動せずにはいられません。

昨年亡くなった落語家の立川談志氏の言葉に、「酒を飲んで人間はダメになるんじゃない。酒を飲んで人間はもともとダメなんだと分かるだけ」とありました。(正確な言い回しはちょっと忘れましたが、そのようなことをおっしゃっていました) 人間はもともと不完全どころか「腐食土」、もうどうしようもない存在なんだと、私は感じるのです。しかし、その腐食土から花が咲くことを想像すると不思議でもあり、ふわっとした喜びを感じます。蓮の花は泥の中にあって美しく花開きます。蓮は神々しい花です。そういう「新生」を会の目指すべきところとしたいと思いました。

“種は死んで、芽が出る”・・・。腐食土に落ちている個人という一粒の心の種。腐食土にふさわしい根 ( 自己主張、嫉妬心、恨み、攻撃、その反作用としての不安、焦り、恐怖、後悔、自己卑下、自己憐憫など )を伸ばすけれど、その種が死ぬ(自意識から降りる)とき、全く新たな存在として「芽」が立ちあがってくる。美が花開いてくる。・・・私は比喩というものが好きではなくて、ほとんど使わないのですが、「腐食土」のパワーに押されイメージしました。

人間はおしなべて「腐食土」である、そのことを受け入れ、 どんな馬鹿なことをしたとしても自分だけがダメなのではないと分かること。 そして、瞬間でもいいから「執念」と「未練」を捨てること、それから離れること。私がずっと意識して待っていること、です。

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明けましておめでとうございます1 長崎事件の警察対応

12月はブログが更新できませんでした。年末年始は一年で一番相談事案が多いときです。節目を重んじる日本人の心には、新年を前に悩み事を解決に向かわせたいという気持ちが起きるのではないかと、毎年、私は思います。 また、孤立していたり孤独を感じている者には、この時期は他人の恋愛や家族の風景が眩く見える時期でもあり、自分だけが不幸な気がしてくるせいか心の均衡が崩れやすく、新聞の社会面もあわただしくなります。

12月16日の長崎県西海市の二女性殺害事件も、事件の内容を少し知れば警察のスピードの遅さが致命的だったと分かります。警告や被害届の受理など警察はすべきことはしていますが、被害届の受理と逮捕状の取得があまりに遅かったと言わざるを得ません。(10月29日に暴力行為について相談を受け、12月14日に傷害事件で被害届を受理、逮捕状を取ったのは事件後の17日でした) 

産経新聞によれば、長崎県警の捜査幹部は「男女間で起きる暴力行為は、報復や近親者を犯罪者にしたくないという心理から被害者の同意を得て立件するのが難しい」と話したと書かれていますが、被害者の告白によれば、「警察から被害届は一週間待ってほしいと言われた」であり、「何故被害届を受理してもらうまで時間や費用がかがるのか、不合理な気持ちだ」と、警察の認識とは違います。

※費用がかかったということは、警察は被害者に告訴状を持って来くるよう指示したのではないかとの推測ができます。本来、告訴は口頭でできることになっています。しかし実際は、被害者は「告訴状を持ってくるように」と言われることが多々あり、告訴状の作成を弁護士に依頼することから金銭的負担が発生するのです。そもそも傷害事件は親告罪ではないのですから、警察は事実を知った時点で、告訴状など無くても捜査に着手すべきです。しかし実際は、「被害届」だけですと即時の捜査というものは始まらないというのも実情。それが「告訴状」を受理した警察には捜査に着手する゛義務″が生じるため、当会では非親告罪でも告訴するようにアドバイスしています。警察官が調理しやすいよう俎上に乗せることが大切なのだということです。

この事案では、警察は、相談を受けてから被害届の受理まで、加害者に3度の警告をしています。加害者と接触しておきながら、被害者の家族に向けられる不穏なエネルギー、その危険度、殺人を犯す可能性について想定しなかったことを悔しく思います。

また、加害者家族に対しても、何ら有効な手だてが提示されていなかったことに愕然とします。加害者は過去にも事件を起こしており、また精神的に不安定であったことは近所も知るほどで、家族は警察に相談をしていました。「自傷他害」の恐れがある場合は精神保健福祉法にある強制措置入院の対象であり、あるいは家族の判断で医療保護入院ができた可能性もあります。警察が、直ちには傷害事件にしないと考えていたのであれば、せめて加害者家族にはそういう知識と実行のための協力者があってほしかったと思います。ともあれ、事件に至るまでの詳細な経過はまだはっきりしていませんし、警察対応については検証が始まったところです。今後、検討を引き継ぐべき課題が、この事件から多く見えてくることでしょう。

産経新聞にコメントしましたが、一般的に警察にいる人たちはストーカー行為がすぐに殺人に発展するとは思っていない節があります。最悪のこと=殺人と自殺、それらと背中合わせなのがストーカー問題であるという認識に早く変わるべきだと考えます。これまでの犯罪動機とストーカーの犯罪動機は異なること、ストーカーの多くは心理的病態にあること、犯罪を防ぐためには加害者への対応とスピードにおいて再考が必要であることを一刻も早く理解していただきたいと思います。また、「精神医療系マターに警察は関わらない」と決めつけず、トータルな見地から被害者と加害者家族の相談に乗ってほしいと思います。緊急時には、刑法とストーカー規制法だけに頼らず、「警察官職務執行法」に基づいた、加害が行われる前の制止に力を注いで欲しいと思います。それに伴って親族などによって身柄の確保も可能になります。

そのためにも、警察の人たちには、ストーカー規制法第7条にあるとおり、私たちのような市井のストーカー問題に組む機関と緊密な連携を図っていただきたいと思います。ストーカー加害者の指向性、性格や人格構造などに知見を広げる一助として、私どもの経験も役に立つはずではないかと考えています。

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