ストーカー被害に苦しむ人間にとって警察は最大の味方です。危険を顧みず加害者と対峙してくれるのは組織としては警察だけです。私どもヒューマニティは、わずかでも警察に協力できたらどんなに良いだろうかと思ってきました。
警察は人員の問題もあり、ストーカー案件に対して社会の期待通りに最善の配慮をするということは、おそらく不可能だと思います。DVの場合は相談機関は警察だけではありません。「保護命令」は裁判所が出します。ストーカー事案は「警告」は警察署長が出しますので、警告を発してもらおうとすれば相談できるところは警察署だけです。
ストーカー事案は被害者の住所地の警察署が相談を受けるということが通例となっています。被害が職場中心だとしても、被害者の実家まで波及していても、被害者の「住所地」の警察署が担当をします。そして、各警察署によって対応がまちまちになるという現実も出てきています。
罪状が明確である従来の刑事案件ならば、対処は一定になります。しかし、一日100通のメールとか、暴言、自宅前での女性の待ち伏せといったものに対しては、「警告」をすべきか、「脅迫罪」を適用すべきか、精神の「傷害事件」だと考えるか、「様子を見る」べきかなど、相談を受けた警察の判断はファジーになります。私は、少なくとも原則的に「警告」は直ちに発すべきと思いますが、出し惜しみというか、加害者への遠慮でもないでしょうが、各県警によってストーカー規制法の適用基準が内部で定められているようで、それは結構ハードルが高いように見受けられます。ある県警では、警告を願い出た被害者に対して、「当県では10分に一度以上のメール、しかも一か月以上の継続性が無いと警告はしない」と門前払いをしたそうです。ストーカー規制法の条文には一切そんな規定はありません。
ストーカー事案の相談は、単なる嫌がらせやよくある男女のいざこざのように見えながら、中には凶悪事件に進展してゆくケースも紛れています。それを見極めるためには、どうしても加害者の心奥に踏み込むことが必要です。心理の専門家でない警察官にこれを期待するのは難しいと私は思います。 私が警察に期待、お願いする対応は、警告を早めに出してくれること、その時は被害者に身を隠すくらいの安全を図るように指導してくれることです。
ストーカー事案の相談者の特徴として、被害者が告訴はおろかストーカー規制法の警告すら申し出を渋るということが多々あります。 暴行までされたというのに何か手を打ってもらおうという決心がつかない。長いこと一人で我慢をしてきた。勇気をかき集めてやっと警察に「相談」には来たものの、何を警察に望んだらよいのか分からないのです。本当は、一刻も早く 「警告や逮捕をしてください!」 と望まないといけないはずなのに、その判断ができません。ただただ本当に「相談」に来ているだけなのです。「殺されるかもしれません」と言わないといけないところを、「今は、何もしないでほしい。相手を刺激するのが怖い」と言ってしまったら、警察官にはなすすべがないのです。
・加害者の心理状況についての検討 ・被害者の恐怖や迷いなどの心理問題へのサポート これらのことは警察で全て抱え込もうとせず、相談の初期段階で、まだ生活安全課で対応している時に、当会のようなカウンセリング機関があることを紹介するなど、連携を求めて下さってもよいのではないかと思います。私は今年から、警察の方々に、当会のことを伝えてゆく活動を始めることにします。
当会の名称を「ヒューマニティ」としたのには理由があります。 hnmanity 「人間性」 は、ラテン語の humus 「腐食土」を語源とします。これは本当に綺麗事ではない!という言葉です。人間のサガは土着であり、そこから生まれる情念(優美でも高貴でも自由でもない)、それが人間性なんだという宣言。私は感動せずにはいられません。
昨年亡くなった落語家の立川談志氏の言葉に、「酒を飲んで人間はダメになるんじゃない。酒を飲んで人間はもともとダメなんだと分かるだけ」とありました。(正確な言い回しはちょっと忘れましたが、そのようなことをおっしゃっていました) 人間はもともと不完全どころか「腐食土」、もうどうしようもない存在なんだと、私は感じるのです。しかし、その腐食土から花が咲くことを想像すると不思議でもあり、ふわっとした喜びを感じます。蓮の花は泥の中にあって美しく花開きます。蓮は神々しい花です。そういう「新生」を会の目指すべきところとしたいと思いました。
“種は死んで、芽が出る”・・・。腐食土に落ちている個人という一粒の心の種。腐食土にふさわしい根 ( 自己主張、嫉妬心、恨み、攻撃、その反作用としての不安、焦り、恐怖、後悔、自己卑下、自己憐憫など )を伸ばすけれど、その種が死ぬ(自意識から降りる)とき、全く新たな存在として「芽」が立ちあがってくる。美が花開いてくる。・・・私は比喩というものが好きではなくて、ほとんど使わないのですが、「腐食土」のパワーに押されイメージしました。
人間はおしなべて「腐食土」である、そのことを受け入れ、 どんな馬鹿なことをしたとしても自分だけがダメなのではないと分かること。 そして、瞬間でもいいから「執念」と「未練」を捨てること、それから離れること。私がずっと意識して待っていること、です。